有賀:僕は、子どもが2人いて、彼らは今すでに大学生だったり社会人だったりするんですが、その子らが中学とか高校ぐらいの頃をちょっと思い出すと、中学や高校ではマイナスをなるべく減らすっていうことが、すごく強く求められている。「苦手科目は全部克服しましょう」とか、「入試にこれも出るから、ちゃんとおさえておくように」とか、そういう教育が多くされているという印象があります。そういうところで上手に生きてきた人っていうのは優等生といえると思うんですけど、うちの子らはどっちかというとそういうのは非常に窮屈というか、好き嫌いの激しいところがあって、大人の言うこともあまり聞かない人達だったので、非常に苦労しました(笑)。でも、大学に入ってからすごく生き生きしたような気がします。中高では「マイナスを減らそう」という教育をするけれども、大学というのは逆で、「別にマイナスはあってもいいからそれよりプラスを伸ばそう」っていう世界だと思います。だから、自分の好きなことがある人にとっては、自分の好きなことを将来やっていくために何をすればいいいかというのを、その非常に自由が大きいところでどんどん切り開いていける。そういう場が用意されている。特に理学部は、非常に広い範囲の中で自分の好きな分野を探して自分でやっていけるということで、大変いいと思うんです。ただその一方で、高校の時のように「マイナスを減らそう」という方向でいってしまって「どの科目も全部やらなきゃいけない」という風に思ってしまうと、それは多分大学ではあんまりいい考え方ではなくて、結局自分のやりたいことがあんまり見つからないうちにちょっと疲れてしまう、ということになる。だからそこでやっぱり、気持ちというか考え方を切り替えてもらって、自分の好きなこと、やりたいことはなんだろうということをまず見つけるっていうのがいいと思います。それがすぐに見つからなくても、たとえば数学と生物のどっちをやろうかとか考えながら、両方をとにかくまじめに勉強してみる。勉強してみると、「数学はちょっと向いてない」とか、あるいは「生物はちょっと生々しくて嫌だ」とか、いろいろ出てくると思います。そうやって何かを見つけてそこに打ち込んでいく、ということだと思います。そういうようなことを新入生には言いたいと思います。
三輪:はい。ありがとうございます。
畑:何の話がいいかな。京大理学部は、緩やかな専門化ということですけど、まあ、皆さんのような、優等生的な、良いおじさんのお言葉はやめて(笑)。最初から物理をやろうと思ってる人に言います。京大理学部は何したっていいんです。何したっていいっていうのは、要するに、どんどん自主的に、自分で考えて悩んでどんどん勉強していきましょうということです。だから、つまらない講義なんか出なくていいから、とにかく自分で勉強すればいい。下手な先生の下手な講義はいくらでもあるので、そういう先生は見切って、面白い教科書をどんどん勉強していけばいいですね。物理をやりたいと最初から決めてる人は、物理と数学を勉強しましょう。一回生の時だって、三回生の講義に出ても構わない。単位も取れる。ただ、上滑りで、なんか言葉はいろいろ知ってるけど中身はよく理解できないとか、そんなのは駄目です。やるならやるで、ちゃんと、とことん理解して。自分で考えて、とことん悩んで、勉強していきましょう。以上です。
平島:畑さんがそういうことをおっしゃるなら、言っとかなきゃいけないことがあります。私は、畑さんと同じ学年で入っているんですが、畑さんはエースなんですよ。一回生の頃から「すごい人がいる」みたいなことでお名前は聞いていました。私は逆に、「残り半分」のほうなんです。数学の一番最初の授業で、先生が「僕の授業で合格する人は半分だよ」とおっしゃいましたが、私はまさにその通り、残り半分になってしまいました。一回生ですから、その時は落ち込みました。京大に入って来るまでの数学とは全然別の世界なんだということを実感しました。なおかつ同じクラスの中にも、その子がしゃべり出すと何言ってるのか全然分からないやっていう人がやっぱりいるんです。その子も物理に行きましたが。京大に入学して「あ、えらいところに来てしまったな」と思ったのが4月、5月で、前期が終わった瞬間にやっぱり数学が落ちて、これはあかんわと思っていろいろ考えました。これでは理論なんかとても行けないから、身体を使うところに行けばいいんじゃないかということで「地球いいよね。地球ならまあ何とかなるやろう」と思いました。それでいろいろ先輩方に聞いてたら、「地球物理に行くんだったらやっぱりお前数学は要るぞ」と言われて「ああ、そうですか」となって。…となると、
福田:いやいや、そんなことなるから、やっぱり物理に挫折して…。
畑:物理をダシに使わないでください(笑)。
平島:数学も使ってますけど。
有賀:物理はダシに使いやすいんですよ。
平島:いや、それでまあ「地質行ってみるべ」っていうことになって入って行ったんですけど、その当時のうちの教室というのはとんでもないところでした。先生は、畑さんのおっしゃったように「勝手に勉強しなさい」という先生が多くて、学部生の教育は大学院生がすることになっていました。また、3回生の第1回目の岩石学の授業で教授が「僕の授業では、そんじょそこらの教科書に書いてあることは全然しないから、それは自分たちで勉強しろ」と言われてショックを受けました。そしてその先生は「今からマグマの構造についてしゃべる」と言われたので、「はあ?これは岩石学のイロハも知らない人にやる授業か」と思いました。それでもう、先生の話は聞いちゃいかんのやから院生の話を聞こうというのが、その当時の雰囲気です。今はうちの教室もがらっと様変わりしていますので、一応教育はするように努めておりますが、それがいいのかどうかは学生さんに聞かなきゃいけないなと思っています。私のその次の大きな転機は、大学院を選ぶときです。京大は自由だから、大学院も「どこでも好きなところに行け」と言われまして、先輩方といろいろ相談して、大学院は別の大学に行きました。当時その大学はマスターコースまでしかなかったので、そこで終わるのかなと思っていたんですが、なんだか研究がうまくいかないのでモヤモヤモヤモヤしてました。そしたら指導教官が「俺、京大に移るかもしれない」と言われたので、「じゃあ一緒に」と、ドクターコースから京大に戻ってきて、研究をずっと続けるはめになってしまいました。修士で辞めなかったから、残ったのかなと思いますけれども。どうして私が生き残ったのか。私はそんなに頭の回転がくるくる速い方じゃないので、とにかく粘ることを信条にして頑張っていたら、ドクター3年の時に件の指導教官が面白い話を持って来ました。「学位論文を出すのは1年遅れるけど、お前、スピッツベルゲンっていう北極海の島の調査に行くか?」と。私は根がおっちょこちょいですから、「はい行きます」と答え、ドクター3年の夏に約3ヶ月間の調査に行きました。海外展開の味を覚えてしまったのはそこからでした。日本の石はつまんないけれども、外国に行ったらものすごく面白い石がいっぱいある、と思って、それからほんとに世界展開するようになってしまいました。可哀想なのは私の今の学生さんたちで。課題研究のテーマを相談に来たら、いきなり外国の石の研究に興味が有るか?と質問される。しかも、研究費に余裕があるときは修士以上の学生さんには旅費の補助を出せるが、学部生は現地までの航空運賃は自腹だよと。そんなことで1991年以降、多くの学生さんたちと一緒に海外の岩石の研究をつづけた結果、超高圧変成岩研究の○○という二つ名をいただけるようになりました。…ということで、まとめは、「粘り強くやってたら、何か道は開けますよ」ということにしておきます。早く自分の適性を見つけてください。でも、頑張らないと駄目ですよ。