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第3回

三輪:はい。どうもありがとうございました。まだまだ時間はあるので、今度は授業の経験から、別にアドバイスということじゃなくても何か面白い話があればよろしくお願いします。

山極:あんまりたくさん事例があるわけではないけれど、高校から大学に入ってきたばかりの学生たちってやっぱり正解を求めるところがある。けれど、我々の授業の中では、まだ正解のない話であるとか、将来解決しなくてはならない課題をかなり出すわけです。しかも、答えは一つしかないわけじゃない。初年次はそういうことに慣れていないから、やっぱり、正解を出すための方法論なり考え方なりを早く教えてほしいと思ってしまう。しかし、これまでに出された膨大な数の問いと答えを知りつつ、その上に新たな問いを作るっていうのがサイエンスの醍醐味だと思うので、教える方としては、自分で問いを立てるという経験をしてほしいわけです。僕自身もいろいろ問いを立ててきたんだけど、まだ答えが見つからないものがいくつもある。性急に答えを求めることが新しいサイエンスの世界を切り開くことではなくて、それはいかに面白い問いを立てられるかということにある。そのためにはやっぱり、過去に言い古された問いも知っておかないといけない。そういう考え方をしてほしいって言うんだけど、なかなかそれは最初に簡単に理解できないみたいですね。高校までの授業は受験勉強的な色彩が強いので、どうやったら近道で正解にたどり着くかっていうことを教えているような気がします。そういう考え方ではなくて、自分や友達が、あるいは教員がどういう問いを立てて、それにどう答えていくかっていうこと自体が面白いんだっていうことを分かってほしいと思います。そこを伝えることができれば、みんなサイエンスが面白くなるんじゃないかなと思います。だから、わからないことは自分の恥ではないということですね。問いっていうのは、わからないことをベースにして立てられるわけだから。わからないということは、もちろん勉強不足だということもあるかもしれないけど、決して悪いことではない。むしろそれを面白い問いに結び付けていく努力こそがサイエンスの世界なんだということは知ってほしい気がします。

森脇:山極先生、けっこういろいろ言ってくれましたね。数学でも、演習の時間に模範解答をくださいと言う学生は多いですね。必ず。答がないと不安で仕方がないんでしょうか。そういう意味で、まさに今山極先生の言ったことを学生に説明するんです。理学というのは答えのないことをやらなきゃいけないんだから、答えがあるものをやっても面白くないでしょ、と。どうしてもわからなかったら質問をしに来てくださいと言うと、嫌な顔をして帰る。「答えを書くのが面倒臭いからこんな屁理屈言ってるんだろ」って。これは、新入生に言うのはちょっと良くなかったかもしれないですが、さっき言ったように、わからないことを別に恥じることはないわけです。特に数学に対しては、やっぱりいろんな新しい概念がいっぱい出てくるので慣れないですよね。我々のようにプロになっても、新しいことをやるときというのは、その概念が頭の中で熟成してくるまでにはかなり時間がかかるんです。それが空気のように感じられるようになるまでは。数学の概念じゃなくても、物理でも、化学でも、時には生物学でも、いろんな新しいものが出てきた時にやっぱり急には受け付けないもんです。頭の中でそういうものが熟成するには時間がかかるもんだと思って、そのことについて忘れない程度にずっと頭の中に置いておくと、そのうちにある日突然はっと「あ、そういうことだったのか」と気づく時があると思うんです。まさに論語の最初に「学びて時にこれを習ふ、亦説ばしからずや」とあります。学んでる時は非常に苦しい。習うというのはある日気付くという意味なので、気付く時はうれしい、と。そういう気持ちで心をおおらかにして長いスパンで考えると数学の概念もそのうちわかってくる。いっぺんにいろんなことをやってそれを理解しようなんて思うから、訳が分からない、となってくる。でもあきらめないで、しばらく、わからないことはわからないことだと思ってずっと我慢していたら、そのうちわかってきてはっと気が付くときがある。学ぶのは苦しいけども、習う時があるので、その時を気長に待ってくださいと言いたいです。

山極:まさに自学自習の根本はそこにあるんだね。じっと待つ。

森脇:待ってたらそのうちにはっと気がついて、「あっ、なんだ!こんな簡単なことだったのか」と気付くんです。

三輪:じゃあ、寺嶋先生お願いします。

寺嶋:化学でもやっぱり同じですね。やっぱりサイエンスってわかんないところをやるのが楽しいわけですよね。でも、大学に入ってきたばかりの人は、当然そういったことには気が付かずに、やっぱり勉強するんですね。特に物理や化学というのはもうだいたい体系的にかちっとしたバックグラウンドがあって、その体系を知らないと最先端の面白さがなかなかわからないという難しさがあります。生物なんかは高校の教科書が今でもどんどん書き直されているぐらいすごく進歩していますが、物理、化学なんて、長年ほとんど同じような内容の教科書で、そのベースとなることを覚えておかなきゃいけないわけです。大学に入ってもそれを更に続けなきゃいけないというところがけっこう授業をする上での難しさです。新入生に対して物理、化学を理解させながら、そういう最先端の、考えなきゃいけない未知のことがあるんだよということをどうやってわかってもらうかというのが難しいところで、いつも悩んでいます。それで、非常に基礎的なところを教えるときにも、これがこう進歩して行ってこういったところに使えるとか、これを更に考えるとまだわかってないことが山ほどあるんだよとか、言葉のはしばしににおわせながら教えています。例えば、水なんてすごくありふれた物質ですが、水もまだ理解されていないんだということは、たぶん新入生はわかってないと思いますね。なんで水が0℃で凍り、100℃で沸騰するのかとか、全然わかってないんですけどね。今でもわかっていないことが山ほどある分野なんです。でも、新入生はたぶん、水なんていつも飲んでるじゃんという感じで、完全に分かっているもんだと思って捉えていると思います。そうではないんだよということを、基礎を教えながら科学の先端をわからせていくというところにいつも苦労しています。

三輪:なるほど。

寺嶋:ですから、新入生のなかに面白い質問を投げかける人というのは、残念ながらそうたくさんはいないですね。

山極:でも、一回生の方が質問に来るね。三回生、四回生よりも。

寺嶋:僕も一回生は教えてないけど、二回生と三回生を比べるとそうですね。二回生の方が熱心です。いつから熱心じゃなくなるんかというのが、いつも不思議で。

森脇:さっき私がアメリカに行った時の話をしましたが、アメリカの学生はけっこう、「こんな面白いことがあるんだよ」と言ったら素直に感動するんです。日本人の場合は、「だからどうしたの」とか「それがどこが面白いの」というような感じでね。だから、もうちょっと感動する気持ちを持ってほしいと思いますね。もっと素直になってもらって。いいかっこする必要はないから、「面白いな」と思うぐらいでいいんです。

山極:それと、やっぱり高校の授業や予備校の授業って教科書対自分、あるいはインターネットのデータベース対自分ということになってしまっていて、何か共通のテーマでディベートするとか、面白いことをそこで出してみるとかいうような授業をやってないんじゃないのかなと思うんです。だから大学に入ってきても、そういうテーマにみんな一人で向かい合ってるわけです。それについて話し合ったり、別の考え方を提示してみたり、「じゃあそれちょっと先生に聞いてみようじゃないか」というようなことにあんまりなっていかないんじゃないかと思うんです。ちょっとそのあたりの問題を小中高の教育から考え直すしかないんだろうと思うんだけど。話し合いながら詰めていく学問の楽しさをもっと若いうちに教えていったほうがいいんじゃないかっていう気がします。

寺嶋:僕もいつもそんなことを感じています。やっぱり日本の小中高というのは教科書を勉強するのにあまりに重きを置きすぎていて、サイエンスを楽しむというのが非常に少ないなと思っています。その原因はどこにあるのかなといつも思っているのですが、なんか社会全体がそんな感じじゃないかなと思います。アメリカと比べると、アメリカはサイエンスの専門誌を一般の人でも楽しんで読むわけです。『SCIENTIFIC AMERICAN』とかいうのもあるし。でも日本で『日経サイエンス』を読んでる人はどれくらい居るかというと、多分そうはいないような。それで、例えば誰かがノーベル賞を取った時の解説が非常にお粗末で、ニュースキャスターでも全然でたらめのようなことを言っている。「ああ、日本のサイエンスに対する認識ってこんなもんかな」といつも思っています。多分そういったことが小中高の学生にも反映されているんじゃないかなと。ですから、もちろん小中高の学生を教育するのも重要ですが、世の中、母親とか父親、そういった大人の目をサイエンスに向けさせるというのも重要じゃないかなと考えています。

高橋:入試を変えないと、高校は絶対変えないですね。

寺嶋:う~ん。まあそうですね。

高橋:高校が変えなかったら中学も変えないので、一番簡単に変えるとしたらそこなんじゃないかなと思います。そこが変わらなかったら、いくら社会がどうのこうの言っても変わらないんじゃないかと。

寺嶋:入試を変えるというよりは、それは大学のシステムを変える。

高橋:大学自体もそうですね。

山極:日本の社会から一般科学雑誌がどんどん消えていきましたね。『科学朝日』とか、生物の世界でもそうです。

三輪:もう今、ないんですか。

山極:『アニマ』もなくなったし、『自然』もなくなったし。

森脇:数学はわりと、『数学セミナー』とか『数理科学』とかいう雑誌があって、けっこう編集者の人達が頑張っています。だけど、確かにあれに相当するような『物理』や『化学』、『生物』っていうのは…。そういう意味で、けっこう数学は固有のファンがいますね。他の科学に比べて、例えば初等幾何の話にしても、とにかくなんとか自分で手や紙を使ってやれるので。そういえば「伊藤家の食卓」だったかで、ちょっと数学のマジックを使って、なんか数字を言いながら適当に計算したら、いつもある同じ数字が出てくるアルゴリズムを使って、数字をあたかも超能力で当てたかのようにする手品がありました。たまたま事務室に居たら電話がかかってきて「森脇先生、出て下さい」と言われたので電話で話をしました。で、ちょっと説明を受けて「これ、何かの大理論に関係してますか?」って言うから「いや、別にこれ、中学校の数学ですよ。ちょこちょことこう文字式を足したらいつも3になるでしょ」っていう説明をしました。ディレクターは文系の人で、「これは難しいからテレビの時には説明しません」と言うんです。それ、私は観なかったのですが、一般視聴者から「人をバカにするな、教えてくれ」というような要望があったようです。なぜかわからないのは気になって仕方がない、と。それでWebに載せたのですが、それでも納得しないので、結果的にお笑いタレントの男性がいろんな図を示しながら説明することになりました。それでみんな納得したということがあるので、潜在的には何かあるはずなんです。

寺嶋:なんかコアな素人のファンは、数学にはいるかもしれないし、天文の観測にはいるかもしれない。地質の古生物にもいるかもしれないですね。

山極:うん、そうです。古生物は多いですね。

高橋:物理でも、僕の同期の人で、普通のサラリーマンなんですけど「相対論の解説をちょっと通勤の時に読んでみたけど、わかんないや」とか言う人がいます。けっこうそういう人がいますね。

寺嶋:だから、そういう、一部のコアじゃなくて、もうちょっと薄くていいから、広まってほしいですね。

森脇:でも、中学校や高校の頃にたぶん、いろんなことがあって嫌いになっちゃう。受験というもあったりして、それで自分の能力を測られちゃうから嫌いになっちゃう。でもちょっと離れてみると「やっぱり面白いんじゃないか」っていうのがどこかにはあるはず。それをうまく気づかせてあげると、みんなもっと興味を持ってくると思う。

寺嶋:僕の持論は、お母さんを教育しなきゃいけない。

山極:そう。お母さん、重要だよね。

寺嶋:お母さんをサイエンス好きにすると、子供が好きになると思うんです。

三輪:すごい話があって、これも数学セミナーで読んだんですけど。小説家の人が数学者から聞いた話らしいんですが、どういう話かっていうと、「なんでこんなに難しい、自分の生活で使わないようなものを学校で教わらなきゃいけないか?」と尋ねたところ、その数学者の答えが「お母さんたちに教えて、ちゃんとそこで難しい問題を解かせて鍛えておくと、その人たちには何の役にも立たなくても、いつかその子どもか、その孫か、またもっと孫かにアインシュタインみたいなのが出てきて人類の役に立つから、DNAに刷り込んでおきましょう」と。

山極:そのDNAの話は間違ってる。

森脇:それは、そうですね。

三輪:そしたら、高橋先生、どうですか。授業に関連するようなことで。

高橋:同じような話になってしまうかもしれないですけど、やっぱり最近の学生は、全然質問をしないですね。授業中、質問っていうのが、基本的に全然ありません。昔はありましたが、良くて授業が終わった後に少しあるくらいで。これは森脇先生の話とちょっと逆になっちゃうかもしれないですけど、アメリカでも今問題になってるそうですね。

森脇:いや、私、いたのがもう20年も前ですから。

高橋:20年前のアメリカとかだと、多分、質問とかもすごく活発だったと思うんですけど、今、アメリカの学生もシャイで、授業中に「わかったか」って言っても誰も答えないので、わかった人はボタンを押してわかったと知らせるというようなのを取り入れてるようなところもあるぐらいだそうです。ただ、やっぱり日本人に比べたら、まだちゃんと質問してくれるみたいですね。アメリカとかヨーロッパの人がよく言うのは、stupid answerはあるけれど、stupid questionってのはないんだということです。そういう文化はちゃんとあるんですけどね。

三輪:どんな質問でもいいということですね。

高橋:そうですね。はい。

森脇:私、いちばん困ったのは、「証明ってどうするんですか」とか質問された時です。「ここにproveって書いてあるけど、proveってなんですか」と言われて。でも、ちゃんと説明してあげたらやっとわかってくれた。日本人だったら「証明ってなんですか」なんて恥ずかしくて聞けないわけだけど。

三輪:それはなんか、授業中にうまく質問を引き出すようなやり方をしたらいいんですかね。

高橋:無理にやると、出てこなくなっちゃうんですよね。

三輪:あるいは、むしろ、突出してもいけないみたいな雰囲気があるんですかね。最近の学生は。

高橋:でも、やっぱりぜひそういった羞恥心は克服して積極的にやっていただかないと。

寺嶋:授業で「質問はないですか」と言っても全然返事がなくて、「じゃあわかったんですか」と言ってももちろん返事がないんです。でも、全部理解したのかな?と思ってテストをするとすごく悪い点なんですよ。試験をして初めて、これくらいもわかってなかったのかってわかるというのは、なんでしょうね。ほんとはわかってないんだけど流してるんですかね。

三輪:でも、邪魔されるっていうことじゃ、絶対ないですよね。

寺嶋:ああ、もちろん質問してくれると、すごい嬉しいですよね。

三輪:学生からの質問というのは、すごくありがたいということはあっても、「ここまでやらなきゃいけないのにこれに答えてたら時間がなくなった」というようなことは先生の方は絶対思わないですよね。むしろ、間違った式を書いててそのまま進んで、後になって気が付いて「あれどうなってんだろう。何を聞いてたんだろう」となるのは、すごくがっくりくる。

山極:僕は大学院でエンドレスゼミというのをやっていますが、みんなゼミで必ず発言するようにと言っていても、やっぱり修士一回生はあまり発言しませんね。でも、博士課程の二回生や三回生になってくると、ほんとによくしゃべるようになります。それはやっぱり、訓練と場馴れじゃないでしょうか。最初は質問の立て方がわからないんだと思う。さっきstupid questionはないって言ったけど、やっぱりそこで気後れするんですよね。変な質問をしたらすごく恥ずかしい思いをするんじゃないかみたいな気がして。後から考えると僕らだってすごく恥ずかしい質問をいっぱいしてるんですけどね。ちょっとやっぱり余裕を持って育つ時間を与えないと、なかなか自分で積極的に質問をしてくるようにならないんじゃないかと思います。

三輪:それを訓練するっていうのは、講義ではなかなか難しいんですかね。

山極:だから、特ゼミとかああいうのは、うまく活用すればけっこういいと僕は思うんだけどね。

三輪:長谷先生、どうですか。

長谷:僕はそんなに長くここで教えてるわけではないですが、最初に来た頃より質問が減ってるなあというのはすごく思います。その件に関してはみなさんがおっしゃる通りかなと思います。生物の授業を受ける新入生の人もいると思うので言いますと、教える方から言うと生物のミクロって、どこをどのくらい教えていいかっていうのは難しいところがあります。ある程度基本っていうのはあるんですけど、あとは好きなだけ勉強したらいいし、別に正直、読めばわかる話なんで人に説明してもらわなくていいっていうところが一方ではあるんです。じゃあ知識が多くても少なくても同じかというとそうでもないんだけど、ほんとに大事なのはそこじゃないんだということもあります。もちろん一方では知識を伝えなきゃいけないんだけど、それと同時に心構えのようなことを伝えたいと思っています。僕自身は、一、二回生相手ではなるべく、どちらかと言うと考え方を教えて、細かいことは読んで勉強してくださいということにしていますけどね。ただ、あんまり易しくするとなめられるんじゃないかと思って「ちょっと難しくしてみるか」とか、いろいろ邪念が生じたりして、教える方も試行錯誤のところがあります。

森脇:逆に、山本さんに質問させてもらっていいですか。もちろんいろんな細かいことは言えないと思うんだけど、どんな内容の相談で来る学生が多いですか。学習がうまく進まないだとか、あるいは、変な言い方だけども恋愛のことであったりとか…。


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