天野 彩

 

昨秋、子宮頸がんワクチンを接種した思春期の女の子に重篤な副作用が出やすいという指摘に「科学的な根拠がない」と反論して一躍話題を集めた、医師免許を持つジャーナリスト村中璃子さんの講演を聞きに行った。彼女は接種の副作用とされる症状は元々その年代の少女によく見られるとしてワクチンの接種停止決定を批判した。科学的なデータに基づかない主張には逐一反論してくださいと聴衆の医師らに呼びかけ、講演を終えた。

 

主張には筋が通っていたが、「科学的に正しい」ことを重視しすぎると、科学の範疇ではない問題を軽視することになりかねないと不安になった。「科学的な根拠がない」とは「今の科学には結論を出すことができない」という意味であり、「正しい」か「正しくない」かを科学には判断することはできず、その材料を与えるに過ぎない。科学的な根拠のない主張を認めないことは、絶対的ではないはずの暫定的な科学の見方を絶対視することになりかねない。

 

また、科学に答えらそうでも実は答えられない問題は多い。例えば、「因果関係を科学的に証明できない」として与えられてこなかった原爆による被曝認定を求める訴訟は未だ続いている。科学的判断をする上で必要なデータが揃っていないためだ。被曝認定に必要なデータに今となっては集められないものがあるうえ、被曝による健康被害は個体差が大きいので容易に科学に答えを出すことはできない。証拠となるデータが揃っていない問題は、科学には解決できないのだ。

 

さらに被曝認定も薬害騒動も、因果関係を示すことと同様に因果関係の無さを証明することも難しい。因果関係の有無の境界線の決定もまた科学の対象外なので、科学によらない方法で線引きをすることになる。「科学的な証拠がない」場合でも「正しいかもしれない」ことは無数にある。科学技術は私たちの生活を豊かにしてきたが、その使い方によっては私達の生活を脅かしかねない。「科学的である」ことに頼りすぎてはいけないという認識を一人一人がもち、科学に解決できない領域は科学者でない人も一緒に考えていかなくてはいけない。