天野 彩

 

正体不明の球体が、目の前で絶えず動いている。この正体を知るにはどうしたらいいだろう。私だったら、ソフトボールを思いっきりぶつけてみる。ぶつけて壊すことで、中身を見ることができるからだ。

 

これと同じようなことが原子核物理でも行われている。あらゆる原子の中心にある原子核に荷電粒子(イオン、陽子、電子)をぶつけて性質を調べるのが素粒子・原子核物理学研究だ。1919 年、「原子物理学の父」と呼ばれるイギリスの物理学者アーネスト・ラザフォードは、α 線を窒素原子核に当てることで破壊されることを発見した。その発見からもうすぐ100 年。今ではこの原理はがん治療などの医学にも利用されている。

 

ところが、原子核物理学研究には暗い過去もある。第二次世界大戦後、GHQが「原爆開発につながる」として京都帝国大学(現 京都大学)で建造中だった荷電粒子の円形加速器「サイクロトロン」を破壊した。京都帝大で原爆の開発に携わっていた荒勝文策教授(故人)は、この夏発見された日誌で「日本の原子核物理学の実験的研究が大きく遅れることとなった」と嘆いた。しかし、日本は1954 年に核技術研究を再開し、その後この分野で多くのノーベル賞受賞者を生み出した。

 

原子核研究で物質の起源や基本的性質を知ることはあらゆる研究の基礎となる。戦後日本の学術界は負の歴史に学び、軍事研究に距離を置いてきた。ところが近年、政府は国際情勢の変化を理由に「軍民両用(デュアルユース)技術の積極的活用」を掲げている。軍用と民生用の両側面を持つ科学研究を過度に阻害することなく正しく行わせるように、私達一人一人が注意して監視しなければいけない。