元化学専攻所属・名誉教授  竹腰 清乃理

 
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竹腰先生

 1977年に三回生で化学教室に進学し、この三月末に定年退職しました。その間、博士研究員~助手として9年と少しの間、外の空気を吸い、いろんな学生さんと交流・協力して楽しい研究生活を送ることができました。私が接した欧米の学生さんはビジネスライクというか、醒めた人が多かったり、他大の学生さんには無邪気な人が多かったりと、理屈っぽい京大(理学部?)生と違った印象もありますが、共通して頻出問答である「私にテーマとして勧めてくれたこの研究はなんの役に立つの?」を聞かれた記憶があります。よく聞いてみると多くの方の質問の意図は「親戚のおばちゃんにどう説明したらよいか?」ということで、その場合は、テキトーにわかりやすい嘘をついておけと答えてきました。京大生の場合は、格好良く言うと理学という学問の進展にどのように役に立つのか?といった高邁な問いが多かった気がします。その場合は、京大理学部の公式見解(ですよね?)である「たとえ理解されなくても、君が真摯にそのおもしろさを訴えることができれば、役に立つ立たないは気にしなくてOK」を答えてきました。さらに踏み込んで「もしも役に立ってしまったら、少し羞じらって、『役だってとてもうれしいけど、役立つことを目指して始めたんじゃないんですよねぇ…』くらいが普通なんじゃないの?」と説明すると、多くの学生さんはなんとなく納得されたようです。もちろん科研費などの申請書には、風が吹くと桶屋が儲かる的な論理の三段跳びで人類の役に立つことを謳う必要があり、審査員である私も「うんうん」と優しい目で読み飛ばしてきたことは秘密ではありません。