生物科学専攻(動物学教室)・教授 森 哲
私は長年にわたって京大でヘビの研究をしている。以下の文章は、ちょうど40年前、ヘビ研究を始めたばかりの学部3回生時代に、とある同好会誌に私が書いた小文からの抜粋である。
「あれは自分が1回生で、まだ大阪の実家から通っていた頃のことである。何かの用で帰りが遅くなり、地下鉄を降りたときはもう午後10時をまわっていた。両側に家並みがあるとはいえ、街灯も少なく、その道路はかなり暗かった。少しうつむきかげんに歩いていると、ふと、自転車のタイヤのようなものが道路の上にあるのが目についた。何かなと確かめながら歩を進めていくと、ナント生涯19年、大阪市内で初めて見た野生のヘビだった。全長は1m半もあるだろうか。暗くてよくわからないがアオダイショウらしい。近づいても逃げる様子もない。つかみあげたいのだが、なにぶん駅に近いところ、まだ後ろから帰宅途中の人がやって来るのでそうもできない。
そうするうちに、後方から中年の男の人が1人歩いてきた。横を通り過ぎるとき、その地上にあるものを見、そして自分と目が合った。そのときの相手の顔! 驚愕と嫌悪と侮蔑のいり混じった顔とでもいおうか。ショックを受けたのはこちらも同様で、その人が通り過ぎてからも、しばらくは呆然と立ち尽くしていた。
あの人がどんな顔をした人だったかはもう覚えていないが、あのときの表情だけは脳裏に深く焼きついていて、決して忘れることができない。あとから思えば、自分は内心、相手がにっこり微笑んでくれるのを期待していたのかもしれない。まさに、ヘビに対する世間の目を、まざまざと見せつけられたおもいだった。」
以上が、私が二十歳そこそこのときに残した手記である。
今年は巳年。12年に一度、ヘビに対する世間の冷たい風がほんの少しだけやわらぐ。あれから40年。もしまた、道行く見知らぬ人がヘビを見つめる私にばったりでくわしたら、果たして今度は微笑んでくれるだろうか。


