化学専攻 教授 渡邊一也
有機固体中の励起子の振る舞いは、光物性研究の黎明期から取り上げられてきたトピックスであり、パルスレーザーによる時間分解分光の進展とともに、その超高速挙動についての知見が蓄積されてきました。大きな分子内振電結合を示す分子が、弱い分子間力で集合することで、低振動数の格子振動から高振動数の分子内振動にわたる幅広い階層の核の運動が電子励起状態に結合し、様々な非断熱過程を支配します。分子振動の熱励起が、励起子エネルギーギャップやエネルギー移動積分の揺らぎを引き起こし、励起エネルギー移動や電荷分離といった過程に影響します。これら振電相互作用は薄膜太陽電池や発光デバイスの機能発現機構と密接に関連します。実験的には、分子振動の時間スケールに迫るフェムト秒オーダーの時間分解分光を用いて、励起状態での有為転変を直接観測する試みが続けられ、高精度電子状態計算と非平衡統計理論の発展と刺激しあうことで、この多体現象を紐解く努力が進められています。
励起子と熱浴の結合に関する知見を得るためには、極短パルスレーザーを用いた2次元電子分光によるスペクトル拡散の観測が一つの有効な方法として知られています。我々は、構造不均一性を極限まで抑えるために超高真空下で作製した有機超薄膜について、2次元電子分光による励起状態ダイナミクスの計測に取り組んでいます。
図はテトラセン分子超薄膜(約4分子層厚)の最低励起子吸収帯領域の2次元電子分光信号を示しています。赤色領域は基底状態の褪色であり、青色領域は励起状態吸収に起因する信号を表します。赤青の信号の境界線(図の緑線)の傾きが、励起子エネルギーの不均一性を反映しており、遅延時間の進行とともに、スペクトル拡散によって傾きが減少していきます。これは励起子が励起された直後の記憶をエネルギー揺動により失っていく過程を反映しており、エネルギー揺動を与える振動モードの情報が得られます。温度依存性の測定から、テトラセン励起子のエネルギー揺動においては、従来から広く仮定されてきた熱浴への線形結合モデルでは説明できない、非調和結合の効果が支配的であると結論されました。
2次元電子分光によるテトラセン分子薄膜の励起子スペクトル拡散
(左)実験の模式図
(右)2次元電子分光信号。横軸は励起エネルギー、縦軸は検出エネルギーに対応。tは励起パルスと検出パルスの間の遅延時間。