「急がば回れ」で思うこと

前理学研究科長 森脇 淳

 
 

研究科長在任中は皆様方からの多大な支えがあり、その任期を何とか無事に終えることが出来ました。本当にありがとうございました。いろいろと積み残している問題もありますが、平野研究科長を始めとする執行部の方々で上手く解決していただけると思っております。現在はリハビリを何とか終え、理学研究科の教員として研究・教育に勤しんでおります。

 

これからの理学研究科、あるいは、大学を考えるとき、頭に浮かぶのは「急がば回れ」という言葉です。これは、室町時代の連歌師宗長の歌「もののふの矢橋の船は速けれど急がば回れの瀬田の唐橋」から由来するもので、急ぐときは無理な近道より、遠くても安全な本道を行く方が結局得策になると言う意味です。科学の研究の現場ではこのようなことはよく起こることだと思います。例えば,数学の世界でも、実積分では困難な積分も複素平面で違う経路での積分を考えると求まることがある等々です。大学の昨今の現状を改善するためにもこの言葉の意味を今一度考える時期が来ていると思います。例えば、大学の国際化はとても大事なことだと思いますが、数値目標の実行に専念しすぎ、京都大学の魅力である研究成果の達成と充実が疎かになると、人が集まらなくなる悪循環に陥ります。人が集まることを目指すのであれば、まず魅力を高める努力をすべきです。魅力が高まれば、自然と人が集まります。まさに「急がば回れ」です。大学を取り巻く状況は、「急がば回れ」を実践することかと思います。目先のことに囚われず、やるべきことをしっかりやっていくことが肝要なことかと思います。そのようなことを考えつつ、微力ですが、今後も理学研究科のために働いていきたいと思っております。