コラム『科学者と技術者』

コラム『科学者と技術者』

物理学・宇宙物理学専攻(物理第一分野)・准教授 篠本滋

 
 

私は物理教室にいながら物理学の標準的な課題を研究したことはなく、これまでにやった物理らしいことと言えば益川先生監修にて「力学」を執筆したことくらいである。研究は計算論的神経科学に関わってきたが、こちらも神経科学における中心課題ではない。神経科学者には物理学をやっていると言い、物理学者には神経科学をやっていると言ってきた。所属がはっきりしないという点ではイソップ物語のコウモリのようである。

研究では神経信号の解析に取り組んできた。時系列を特徴付ける解析手法を開発し、また信号発生源のつながりを推定する問題にも取り組んでいる。統計手法には一般性があるので、神経信号のみならず、SNS、株売買など多くの問題に応用できる。こうなるとコウモリでもなく便利屋のようである。

ある先生と「泥縄」という言葉について話していたとき「あなたは泥棒が来てから縄をなうような人ではなく、泥棒を捕まえることも忘れて縄をなうことに熱中してしまう人だ」と言われ、妙に腑に落ちた気がした。科学の根本は現象の理解にあり、いわば泥棒を捕まえるのが目的であるが、私は解析技術開発、つまりは縄をなうことに興味がある。私は小学生の頃は木工工作、中学生の頃は電気回路制作に明け暮れてきた根っからの技術オタクであり、最近の研究も数理で工作を楽しんでいるようなものである。よく考えてみるとこれまで自然現象に心を奪われたということはあまりなかった。物理教室に就職したので自分は科学者の端くれだと思ってきたが、どうやら長らく自分を誤解していたらしい。自分は技術者であると考え直してみれば、これまでの歩みに納得がいく。退職を目前にしてようやく自分のことが少しわかったような気がしている。現代はすでに多くの現象が解明されて科学は終わりに近づき、応用・技術開発の時代に入ったと感じる。社会のそういう変化が自分の本性を気づかせてくれたのかもしれない。