大阪大学大学院理学研究科・教授 小林 研介

 
 

物理学の世界では、20世紀前半に「量子力学」という新しい学問が打ち立てられました。量子力学の出現によって、それ以前にはよく分からなかった、原子・分子や光の性質をはじめとする、私たちの身の回りにある自然の成り立ちを精密に理解できるようになりました。例えば、ガラスがなぜ透明なのか、金属がなぜ光を反射するのか、なぜ電気を流すのか、さらには、磁石はどうして鉄をひきつけるのか、などが分かるようになったのです。さらに、近年(1990年代以降)、ナノテクノロジー(微細加工技術)の発展によって、「ナノ物理学」と呼ばれる分野が生まれてきました。この分野は、「量子力学を使って自然現象を理解する」というだけでなく、「量子力学を利用して自然現象を制御する」ことを目標としています。このような研究は、物質の性質の制御、という、これまでは夢物語に思われてきたことを様々な形で実現できる可能性を切り拓いてきました。この分野に挑戦する意義は、このような、量子力学のもたらす新しい可能性を探求する点にあります。

 

ナノ物理学の分野では、微小な電子回路を用いて物質の性質を制御する研究が活発に行われています。半導体や金属、超伝導体や強磁性体などを非常に小さく(ナノメートルスケールに)加工すると、しばしば、もとの性質とは質的に異なった量子力学的な性質が出現することがあります。その意味において、このような微小な回路を「人工量子系」と呼ぶこともできます。このような人工量子系の研究は、近年のナノテクノロジーの発展によって初めて可能になってきたもので、物質科学の研究において、世界的に大きな潮流となっています。

 

この分野の最大の特長は、量子力学の基づく現象を直接観測し制御できる点にあります。例えば、人工原子と呼ばれる微小な電子回路では、電子を一個ずつ制御することができ、電子がただ一個あるだけで発現するような現象を観測できます。あるいは、電子波干渉計(アハラノフ-ボームリング)と呼ばれる回路では、電子の波動性を制御する実験も可能です。このような研究は、量子力学がどこまで正しいのか、という物理学の根本にある問いに答えることを可能にしてくれるものであり、基礎研究として非常に重要です。例えば、「アインシュタイン-ポドルスキー-ローゼンのパラドックス」として有名な議論は、20世紀前半には思考実験にすぎませんでした。しかし、今や、微小な電子回路を用いて実証可能なものになっています。また、このような方向での発展は、これまでとは質的に異なる新しいテクノロジーの進歩を生み出す可能性があります。近年の例で言えば、量子コンピュータ・量子アニーリングマシンの発展などは、まさにこのような研究がテクノロジーのレベルにまで発展してきたものと言えるでしょう。また、大きく発展してきた最新の高速・高感度なエレクトロニクス技術と組み合わせることで、これまでにできなかったような精密測定も可能になりつつあります。

 

私たちは、過去10年以上にわたって、世界最高の感度で「ゆらぎ(=雑音)」を精密に測定する技術を開発してきました。この手法を武器に、これまでの研究では見過ごされてきたような人工量子系におけるゆらぎを高精度に検出する研究を行っています。回路におけるゆらぎとは、文字通り、回路を流れる電流に含まれる雑音のことを意味します。多くの場合、雑音は邪魔者であり、できれば取り除きたい、と思うのが人情ではないでしょうか。しかしながら、制御性の高い人工量子系では、通常の測定では無視されるような雑音でさえも定量的に扱うことができ、そこから意味のある新しい情報を引き出すことができるのです。本講演のタイトル「ゆらぎは語る」は、ゆらぎを研究することによって自然の本質を引き出したい、という私たちの研究の動機を表しています。

 

本講演では、まず、本稿の最初に述べたような、人工量子系の研究の動向について概観しました。そして、人工量子系のゆらぎの精密測定によって、非平衡物理学において注目されている「ゆらぎの定理」を検証した私達の実験についてご紹介しました。私たちの研究は、量子力学と熱力学の両方に関わる根源的な問題に実験的にアプローチしていく端緒を与え、非平衡物理学の研究に新しい展開を生み出すものと考えています。

 

最後になりますが、このたびは、玉城嘉十郎教授記念公開学術講演会にお招きいただき、大変光栄でした。大勢の熱心な聴衆に恵まれ、数多くの質問を頂き、楽しく講演をさせていただきました。1969年からほぼ半世紀にわたって、このような一般向けのハイレベルな学術講演会を維持されてきたことに、学問に対する京都大学の奥深く真摯な姿勢を感じ、大きな感銘を受けました。関係者の皆様のご努力ご尽力に深く御礼申し上げます。