元物理学・宇宙物理学専攻(物理学第一分野)所属・名誉教授 松田 祐司

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3.名誉教授随想_松田先生_写真

 22年前、東京大学の研究所でのんびりと研究していた私は、全く縁のない京都大学への赴任が決まりました。着任してすぐに主任を任され、5号館の建て替えに伴う連日の引っ越し作業に追われることになりました。
 京都での生活は、文化的な驚きの連続でした。建て替えで倉庫が必要になり、近所のお寺に借用を交渉しに行った時のことです。お住職は「だめ」とは言わないものの、はっきりしない返事を繰り返すだけでした。同行者から「これが京都人の断り方です」と教えられ、これが私の京都の洗礼となりました。また別の日、お茶屋を訪れた数日後、物理学科の事務に請求書が届きました。事務の方に「お茶屋さんにいかはったんですか」と聞かれた時は、飲み屋のつけが大学の事務に届くという、東京では考えられない商慣習に大きなカルチャーショックを受けました。
 そんな京都独特の文化に戸惑いながらも、次第に京都の生活を満喫するようになりました。研究面でも優秀なスタッフと大学院生に恵まれ、充実した日々を送ることができました。
 60歳で登山を始め、地元の山岳会に入会しました。ジャンダルム、大キレット、剣岳などの北アルプスの険しい山々、トムラウシ、羅臼岳、斜里岳などの北海道の雄大な山々での体験は、今でも鮮明に心に残っています。家庭では、ピアノ教師をしている妻からピアノを習いたいとずっと思い続けていますが、なかなか実現できずにいます。
 定年を迎える頃、アメリカのロスアラモス国立研究所(映画「オッペンハイマー」の舞台です)から上級研究員としての誘いをいただきました。この年齢で研究を続けられるか悩みましたが、「なんとかなるさ」という気持ちで渡米を決心しました。アメリカには定年制度がなく、「研究への興味を失った年が定年の年です」という言葉が印象的でした。幸い、まだ3〜5年は研究への情熱を保てそうです。アメリカでも登山と岩稜登りを続け、長年の念願だったピアノにもついに挑戦したいと思っています。