元生物化学専攻(生物物理学教室)・名誉教授 森 和俊
私は実験生物学者である。当然ながら、大学院生・地方大学助手・米国大学ポスドク・産官共同HSP研の研究員時代には自分で実験し、共同研究者とともに成果を上げることができ、京都大学大学院生命科学研究科の助教授になれた。ところが困ったことに、生命は新しい建物なしにスタートしたので、私に与えられたのは2人分の机と3人分の実験ベンチのみであった。HSP研で一緒だった2名がついて来て、新人1人も入ったため、私が実験する場所がなく、40歳で実験をやめてしまった。
それでも共同研究者に恵まれてさらに成果を上げて、京都大学大学院理学研究科生物物理学教室の教授公募に応募し採用された。45歳であった。この公募に応募した理由は、理学への憧れに加えて、研究室がカラの状態で、採用された教授は2人のスタッフをすぐに取ることができることだった。以来ほぼ20年間、2人のスタッフと一緒に研究室を運営することができ、大学院生の実験指導はスタッフに任せた。
コロナ前と同様に、コロナ禍が明けると中国からの招聘を度々受けている。中国の制度は米国と同様で、PI(教授、准教授、助教授)は独立していて、それぞれにたくさんの大学院生がついている(資金豊富なラボにはポスドクもいる)。インパクトファクター最重視の中国アカデミーの中で、大学院生を直接指導しながら少しでも評価の高い雑誌に論文を発表しようともがいている。振り返ってみて、今日の私がある(4月から高等研究院の特別教授に就任)のは、講座制のおかげであると痛感している。国立大学の法人化後に運営交付金が年々減らされたため、私以降に採用された教授はスタッフを1人しか採用できなかった。この差は大きいと思う。最近やっと、運営交付金の減少に歯止めがかかり、制度改革もあって(新しく採用される助教には任期がつくのは痛恨の極みであるが)、教授が2人目のスタッフを採用できるようになった。この流れが続き、研究が発展するように祈るのみである。