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1回目

西村:私は、講義の一番最初に、みんなよく「講義を受ける」って言うけれどそれを今日からやめて、講義に参加するという気持ちでやってほしいと言っています。分からないことがあれば直ぐに聞いてくれると、こちらの教え方が悪いときもあるので、そこで話が盛り上がっていくのが楽しいです。

三輪:でも、大学の授業で、ほんとに質問とかって、しにくいのもわかるし、なかなかないですよね。

高橋:生物、けっこう質問は・・・

三輪:そうでもないですか?生物はいっぱい質問出たりしますか?授業やってて。

高橋:いや、聞けば何か言いますけれどね。

西村:最初のうちは、講義が終わってからドーッと質問にやってくるんですよね。慣れてきたらできるだけそれは止めて講義中に質問してほしいということは言ってます。誰かが質問するとき、多分その人だけが分かってないのじゃなくて、他の人も分かってないことが多いですよね。犠牲になると思って、代表として手をあげてまずは声を発して質問してみなさいと言ってます。

三輪:犠牲っていうのは、役に立つわけですよね。だけど、ひょっとすると、今の若い人、邪魔しちゃいけないみたいな考え方になってる。

西村:そういう遠慮は必要ないですよっていうことを、伝えたいんですけど。。

高橋:でも私、一方で、大学院生以上の学生が学会なんかで質問しないと厳しいんですけど。学部生は逆に…。やっぱり生物ってあまりにも分からないことだらけで、こっちも一生懸命勉強して教えるけれども、全てを分かっているから教えているわけでもないし、解明されていることだけを教えているわけでもないので、学部生は、ある程度聞き流して、ボーっと聞いてくれてもいいかなあと思うんです。いちいち何か細かいことを「なんでや、なんでや」と思ってもいいんですけど、「ようわからへんけど、なんやこんな感じか」とかいうのも、それはそれでいいんじゃないかなって思うんですよね。さっきおっしゃったように、やっぱり私たちの仕事は、勘所を伝えること。教えるというか、伝える。そうすると教科書も読みやすくなる、とかいう、もうその程度だと思うんですよね。だから、学生の気質に任せててもいいかなという感じは、なんとなくします。だから、関係ないんですけど、私がさっきよく遊びよく本を読みって言った、その本は教科書じゃない本ですよ。小説とか文学とか、長編小説とかですね。そういうのでやっぱり感じる心を養ってくれたらいいかなって。金はないけど時間はあるというのが学生で。最近はそうでもないのかもしれませんけど。まあ私の感覚では、学生は、金はないけど時間はあって、長編小説を読破するとか、そういうのがかっこいいかなとか思ってるんですけど。そういうのもいろいろ伝えて、やれればいいかなと思ってますけれどね。

三輪:長田先生はどうですか?勉強の仕方に関して。

長田:ああ、そうですね。いや、とにかくいろいろ、思い当たることがあったりしますね。感心ばっかりしててすみませんが。とにかく私も大学一年の時に、やっぱりそれも良くできる友達がですね、夏休みの間は何した?とか言ってる時に、「本を読んだよ」って言うんですね。へえって思って聞いてたら、トーマス・マンの『魔の山』を読んだとか言ってですね。こいつは何なんだと思って。それこそまさにかっこいいと思ったんですよ、その時。

高橋:かっこいいですね。

長田:ええ。だから、確かにそんなふうに何かちょっと違うことをするというのは、実に重要なことだなと思いました。それと、ほんとにどんどんいろいろ、言われたことで連想していってしまいますと、そもそも授業っていうのは、「業」を「授ける」と書くのであんまり良くない。むしろ講義に出るんだみたいなことを、かつて言ってたような気がするんです。私はしばらく1回生向けに電磁気を教えておりますが、そうすると、演習問題をもっとやってくださいとか言われるんです。なんかいかにもですね。「そんなもん、お前ら自分で見つけてきてやれよ」と思うんですよね。それはもう自分でどんどんやってくださいというふうに思います。

高橋:それはありました。私、久々にこっちに戻ってきて、他の方の授業をちょっと参考にと思って見てみたら、小テストをやっていて。まあ、いい悪いというよりも、それを見てちょっとビックリしましたね。小テストをすると学生は一生懸命聞くんだそうです。小テストがないと、だらーっとなって、小テストがあると一生懸命。「ちょっと待ってよ。でも高校じゃないんですやん」って思います。でもまあそれが今の若者気質なら、それはそれでそういうもんかとこっちも合わせたらいいとは思うんですけど。なんか豪傑みたいなのが出てきて、みんなを引っ張ってってくれたらいいかなと思いますね。なんかへんてこなのが出てきてくれたら面白いですよね。へんてこなのが。

國府:教科書の演習問題の答えをくださいっていう学生がいますよね。あれは止めましょうって言いたいですね。合ってるか違っているかは、自分で確かめられるはずだし。

高橋:ドリルみたいですね、なんかね。

國府:まあ、演習問題をやるのはいいことですが、やったらやったで、その答えが合ってるか違ってるかも、ちゃんと自分で確かめるようなつもりでやってくれれば。

三輪:「知の技法」っていう、東大の文系の基礎演習から出てきた本があります。その本の最初のほうに、文系の先生が、反証可能性について書いておられる。高校までの授業と、大学に入ってからの授業とで違うのは、大学における授業は反証可能な形になっていて、あたかも教師と学生は同一レベルであるかのごとくやるんだ。だけど、数学はちょっと違うんじゃないかなと思います。数学は、最初から、いつだって反証可能です。だって、先生が言っていることが正しいかどうかは、学生が自分で考えたらわかるわけですよね。生物の授業で先生が言ったことを、学生が実験も何もしないで嘘だとかほんとだとかは確かめようがないと思うんだけど、数学はできちゃうわけです、原理的には。だから、今の話の、答えが合ってるか間違ってるかは自分でわかるはずだから自分でやっとけって言うのは、すごく分かりやすく反証可能性ってことを言っている。そこのところができてない学生がいます。僕なんかは中学生の頃に、間違えるとものすごく悩んだっていうか、「何で間違えたんだろう、何で間違えたんだろう」と、そういうことを一生懸命考えたりしてました。それは、数学だからできるっていう面はあるんじゃないかと思います。逆に言うと、数学でそれをやらないと、教えられたことをそのままやるだけでは、間違えを防ぎようがないわけです。…さてそろそろ、長い間ありがとうございました。

高橋:私、話してて学生のこと、つい忘れちゃいましたよ。自分たちでこの学問をどうしたらいいかっていう方に、ついつい。なんか、そういう意味で、非常に楽しかったです。学生へのメッセージは、これでもいいのかもしれませんね。先生たちが学問のことだけ考えて話し始めたら、こんなになるみたいなことを。

 
(第1回目座談会 終わり)

編集後記:
今回の座談会では、学問を楽しむための作法についての話がいくつか出てきました。既成の解答に頼ろうとするのではなく、できる限り自分で考え続けること。こころゆくまで知力を遊ばせながら学ぶこと。いろんな人と話をするなかで、自分の考えを展開させていくこと。これらをどんどんやってみて下さい。きっと新しい世界が開けてくることでしょう。

 


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