橋谷 文貴
何が科学的で何が科学的でないかという議論は大昔から繰り返されてきました。そもそも科学といっても自然科学だけではなく社会科学、人文科学といった多岐にわたる分野が存在しており、一言で科学を定義しそれにあたらないものを非科学であると判断をするのは困難です。
しかし科学研究において結論を導くための一連のプロセスは今も昔も、さらに分野が違ってもそれほど変わらないのではないかと個人的には思います。このプロセスは科学的手法と呼ばれており仮説を立て、実験や調査を行い、得られた結果から仮説を証明するというものです。複数の実験や調査を行いそれら全ての結果に対してつじつまの合う論理的な説明を求められることが殆どです。天動説を導くプロセスを例として挙げると、地球を中心に宇宙が回っているという仮説を立て、観測を行うと太陽が回っていることが確認されました。加えて当時は万有引力が発見されていなかったため、仮に地球が太陽の周りを回転しているのであれば月が軌道を保つことができないという論理的な証明がされていました。
その後、地動説を支持し、天動説を否定する様々な結果が得られたため、今日では天動説は間違った学説とされています。しかしだからといって天動説が科学ではないというわけではありません。科学的に正しいということは科学的手法に従って出された妥当な結論であるという意味であってそれが絶対的な真実であるということではありません。科学的手法に則った結論を受け入れることで科学はより洗練されたものになっていきます。科学を科学たらしめているのは導いた結果の正しさではなく、その導き方であると言えます。